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INFO:
◉曹洞宗 龍門山 籐春院 ◤寺伝によりますと、当時は宝歴元年(1449)正法寺二祖月泉良印禅師の法弟山融松和尚の開山と伝えています。 そして開基は鶴城(つるぎ)城主の黒石越後守正端の次子、藤春(法名は藤春院殿玉厳現露大居士)でした。 黒石氏の事績については天文21年(1552)に滅亡したため定かではありませんが、「正法年譜住山記」等によりますと、黒石地方の領主で鶴城館に居城していたとあります。 そして正法寺の開創に際して黒石越後守正端と長部近江守清長の2人の領主が境内地を寄進したとあります。 黒石氏は源頼朝によって岩手県南部に領地を与えられた千葉平氏の出自と伝えられています。 正端(まさただ)には子供が3人いました。 長子三郎兵衛重貞はその遺言によって貞光庵(坊主善悟尼)を開き、これは後に川崎村薄衣に移って法幢寺となりました。 また次子の藤春は、黒石の「藤春院」の開基となったと伝えられています。 正端の娘は正法寺を開山した無底良韶禅師につき従ってきた山城国(京都府)の金栄という者の妻となり、その子孫は行者(寺の用務を行う)して門前に居を構え、現在に至っております。 黒石氏と共に境内地を寄進した長部氏は、平泉町長島の長部館主であり、二人共に北上川の要所を占める大豪族でした。 黒石越後守正端を供養する「正端塚」は、正法寺墓地内に祀られております。 当寺は文化12年(1815)二二世宝顔素光和尚の代に火災に遭い、本堂・庫裡・古記録など全焼しました。 その後二四世梅道嶺南和尚が天保年間(1830〜43)に再建されました。 鐘楼は戦時中に供出しましたが、檀信徒の協力によって昭和30年(1955)新しく鋳造されています。◢ ひと昔前は毎日のように賑わっていた「藤春院」 こんなに素晴らしいお寺ですから、また昔のように多くの方で賑わってほしいと心から願います。 藤春院(とうしゅんいん)に行かれたい方は事前にお電話をなさり、寺院のご都合のご確認をお願い致します。